『ピーター・ドイグ展 』東京国立近代美術館
ドイグの制作方法は、写真・広告・映画等の既存イメージを自身の記憶と組み合わせて、心象風景を画面に生み出すというもの。情報化社会に暮らす私たちの視覚経路のようだと思った。
写実的リアリティとコンテキストを取り去った風景は、私的で夢のような非現実感が漂っていて、別世界へと連れて行ってくれる。
それと同時にドイグの絵画は、その物理的な強い存在感で、「しかしそこにあるのは物体である」と知らしめるようだった。
現代の文脈の中で、伝統的な絵画の原理に直接的に取り組むドイグはかっこいい。
絵画を目の前にして初めて得られる感覚が様々にあり、見る喜びに満たされた。
キャンバスが大きいことも爽快で、私はどうしたってペインティングが好きだ、と実感できた。
『ブロッター』
特に気に入った作品。
ポツンと佇む人。森閑としていて内省的で孤独を感じるけれど、ドイグの自然に対する親密な眼差しを感じる。
テクスチャーが豊かで、これを綴れ織りにしたら面白いだろうなと思った。
『コンクリート・キャビンⅡ』
色のやりとりが重層的で複雑なのに、筆の配置の的確さから、そのストロークや重ねた色の順序まで見て取れそうだった。どの作品も絵肌の作り込みが洗練されていた。
『のまれる』
30億円で落札されたという話題作。
夜間開館の駆け込みだったから近美コレクション展は見られなかったけど、ちょこっとのぞいたらベーコンの作品が出ていて、嬉しかった。
『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和展』練馬区立美術館
私は、青楓のことは浅井忠と共に、洋画家としてよりも図案家として注目していた。
この回顧展で幅広い画業を総覧してもやっぱり、図案・装丁が一番良かった。
感覚的な線とフラットな面、日本的な色彩と装飾的な構図。こういった作風に無条件に惹かれる。
それにしても、その美しい図案が徴兵中に描かれたものだったなんて驚いた。
『背く画家』のタイトル通り、気概のある人。だけれど、反骨の人というより、傾倒する人という印象を受けた。漱石からの手紙を軸装して飾ったりするし、社会運動へ向かったことも、河上肇ありきだったように見えた。
洋画、日本画、南画、どれもモノする器用な人。作風はそのジャンルによって大きく変わるけれど、色彩に共通して感じられる特質があり、綺麗だった。クロッキーと油彩の人物画が私は好きだった(漱石の死に顔スケッチとかあった)。
ちなみに、青楓が気に入ったという漱石の手紙の一文は、
「世の中にすきな人は段々なくなります、 さうして天と地と草と木が美しく見えてきます」というもの。
諦観と悲哀が入り混じっているようで、せつない。漱石に興味が湧いた。
ところで練馬区立美術館前の公園、動物の像がいっぱいで可愛かった!
『ヤコポ バボーニ スキリンジ展』CHANELネクサスホール
人体に直接楽譜を描く、ヤコポ独自の作曲法。骨格や筋肉の凹凸が旋律を導く。
楽譜に基づく音楽というのは、まず初めに作曲家の存在があり、次に演奏家の解釈と再現があり、三次的に聴衆に委ねられる、という階層が当たり前かと思っていた。
ヤコポの作曲法は初めから他者の直接的介入があり、再現演奏型の音楽なのに、即興のようなプロセスなのが驚きだった。
カリグラフィーも学んだ方だそうで、筆跡が美しい。
人体に描かれた楽譜を眺めて、そうか音楽というのは常に体を伴うんだな、と思った。
脈打つ体もリズム楽器だ。
楽譜は楽曲を視覚化する大発明であるけれど、音楽のありようまで著すには不完全なもので、厳密にはそこに完結させることができない。だからこそ、あらゆる水準で他者の協働を必要とするのだと思う。音楽の真髄は人々を結ぶことであるといわれるけれど、その意味が少しわかったような気がした。
音楽に詳しくない私にも伝わるくらい、音楽への愛に溢れた作品でした。
『ART NAGOYA』 ホテルナゴヤキャッスル
ホテル型アートフェア。会場は9階客室。名古屋城ビューに観光気分が上がった。遠目にも金シャチは輝いていた。
池田杏莉さんの作品が欲しかった。
大の字で天を仰ぐ犬っぽい子。おなかぽっこり、満足気。
鼻が光るというのがサンタの相棒のトナカイみたい。電球交換の様子を想像するとなんだか可笑しい。
今井龍満さんのペンギン。
垂らし込んで描かれた線。偶然が生み出すタッチは自由を感じさせてくれるけれど、技法としては不自由だろうなぁ。描き手のコンディションが敏感に影響するあたり「書」っぽいと思った。
『ハマスホイとデンマーク絵画』東京都美術館
ハマスホイの作品をまとめて見られるこの機会、ずいぶん前から楽しみにしていた。
やわらかな陽光の差す静かな室内画の数々。ハーフトーンの色味と、薄塗りで几帳面な筆致が美しかった。『寝室』が特に好きだった。
奇妙な作風だなぁと思う。
穏やかだけれど、生命感の薄い虚ろな雰囲気。どこまで意図されているのかわからない、部分的に不整合な描写。うっすらとした不安を感じる。
ハマスホイは北欧のフェルメールと評されるけれど、私はホッパーやヴァロットンを連想した。心理的距離の広がりを感じさせる絵。存在よりも不在を描く画家。
レリーフを模写した経緯も気になった。人というより人型、凝固した感じが、ハマスホイが好みそうに思えた。
同時代のデンマーク絵画、スケーイン派の作品もよかった。漁師たちの勇姿と、明瞭な光にロマンを感じた。太陽光の少ない北欧で、スケーインの光景は本当に眩しく映ったのだと思う。
ハマスホイと共通して全体的に生真面目な感じがするのは、プロテスタント国ということもあるのかな。
図録を買うか、関連書籍を買うか迷っている。
『第68回 東京藝術大学卒業・修了作品展』東京藝術大学、東京都美術館
『廻転する不在』東弘一郎さん/先端芸術表現
建築っぽいけど、自転車。進んでないけど、自転車。
時々ベルを鳴らしてくれるのが可笑しかった。
『フグスリバコ』 鷲見茜さん/陶芸
フグの毒が抜けて薬箱になるというストーリー
『岸水寄せる』竹野優美さん/彫刻
『遠海』堀内万希子さん/彫刻
『オフの日』三好桃加さん/彫刻
タイトルに笑った。
『philanthropy』松本真実さん/彫金
エキセントリックな作品も多々。(すみませんキャプション確認し忘れました)
もっとじっくり見て作家さんにいろいろ聞いてみたかった。パワフルな作品ばかり、素晴らしかったです。